フェラーリは、アルファ・ロメオのレーシングドライバーだったエンツォ・フェラーリによって1929年に創設されました。
当初の目標はアルファ・ロメオを追い越すことであった。
F1には1950年第2戦モナコGPから参戦してます。
初勝利は1951年第5戦イギリスGPで、フロイラン・ゴンザレスが、それまで出走した全てのレースで勝利を獲得してきたアルファ・ロメオを初めて破り獲得した。
初のコンストラクターズ・タイトル獲得は1961年だが、この年のイタリアGPではヴォルフガング・フォン・トリップスが事故で死亡した。
1964年にジョン・サーティースを擁し2度目の制覇。
1967年にはモナコGPでロレンツォ・バンディーニがレース中の事故で死亡、エンツォ・フェラーリはイタリア人ドライバーを乗せないことを決意する。
60年代の低迷期の後、1974年から加入したニキ・ラウダを中心に復活。
1975年からコンストラクターズ・タイトル3連覇。
1979年は南アフリカの英雄ジョディー・シェクターが、同僚ジル・ヴィルヌーヴと激しくタイトルを争った結果ドライバーズタイトルも獲得し、ダブルタイトルを達成。
フェラーリは黄金期を迎えた。
1980年は、ウィリアムズの台頭とマシン設計の失敗もあり、不振に陥る。
1982年、ジル・ヴィルヌーヴがベルギーGP予選の事故で死亡する。
チームメイトのディディエ・ピローニも、同年のドイツGPのフリー走行中に両足を粉砕骨折する重傷を負い、レースから離れるが、フェラーリは7度目のタイトルを獲得した。
同時にターボエンジンとしては初の年間王者を獲得したことでもあった。
1983年を最後にコンストラクターズ・タイトルから遠ざかり、
1980年代中盤 - 1980年代後半は、ミケーレ・アルボレートやナイジェル・マンセル等が活躍を見せたこともあったものの、最終的には毎年ウィリアムズやマクラーレンの後塵を拝した。
1988年にはチーム創設者エンツォが死去。
1990年にはアラン・プロストを獲得するが、ランキング2位止まりであった。
2005年アメリカGP1996年のミハエル・シューマッハの加入からチームは改革され、
1999年にはついに16年ぶりにコンストラクターズタイトルを奪還。その年からコンストラクターズタイトル6連覇、ミハエル自身は
2000年から5年連続ワールドチャンピオン。
2000年からはドライバーズ・コンストラクターズ両タイトルにおいて5連覇という記録を残した。